発達障害

今知りたいのは「発達障害かどうか」ではない。少なくとも一度止まることにした。

今知りたいのは「発達障害かどうか」ではない。少なくとも一度止まることにした。

ども、お松です。

発達障害に関する知識系の記事なんかも書いておいてなんなんですが、ここ最近ほんとに思うのは、診断どうこうって話じゃないなと。

もう少し息子が小さかった時には、早く結果が知りたい、もうしんどいからさっさと答えがほしいってな具合だったんですけど、そういう単純な気持ちではなくなってきました。

こう考えるようになったのも、少し知ってることが増えたからってのもあるんでしょうが、ブログを始めてから同じ発達っ子のお母さんたちに触れて、思考を巡らせる時間がすごく増えたのが大きいんじゃなかろうかと思います。

あとはネガティブなことばかり考えなくなったせいもあったり。

ほんと、同じ境遇の人からいい刺激をたくさんもらえていて、そこから派生した考えがタイトルの通りです。

発達っ子のお母ちゃんたち、すんごい

Twitterやインスタ、他の人のブログなんかを見ていて、発達っ子のお母さんはそれぞれの考えをちゃんと持っているのがひしひしと伝わってきます。

凸凹ちゃんとの暮らしの工夫をリアルに公開されているし、参考になることこの上ない。

私は子どもの顔出しもしたくなけりゃ、自宅の写真も無暗に世に出したくはないと思っているので、覚悟も徳のレベルも天と地の差を感じますね。

さすがにそんな私でも一時期、発信したいことはいったい何なんだ?私は何がしたいんだ?と深みにハマっていきました。

で。気付いたんですよ。

発信したいことなんて本当はないんじゃないかって。

私は発散したいだけなんだなと。そしてその力を借りてあわよくば頭を整理しつつ、奮闘中の人に届けばなお良しじゃないかと。

そんな利己的な考えをもっていることが最近明らかになりはじめています。

Twitterのかーちゃんたち

Twitterの発達子育て界隈って愚痴アカウントがすごく多いんですけど、たまに垣間見る葛藤とか、子どもへの気持ちとか、普通の育児アカウントに比べて人間を感じることができると思ってて。

中には綺麗ごとだけ言っている人もいるし、定型か発達かで苦労マウントとって騒いでる方もお見かけします。(んまぁ気持ちはわかるんだが)

でも圧倒的に多いのは、苦悩を全力で叫んでいるかと思えば、ふと発達特有のやりとりでなんだかほんわかする内容を綴っているアカウント。

しんどい、辛い、もう無理って思いながらも、その中に豊かさを忘れずに持っているんだなぁ。あぁ、なんかいいなぁと思いながら毎日タイムラインを眺めています。

インスタのかーちゃんたち

Twitterにいるかーちゃんたちよりキラキラして見えるのはSNSの属性のせいだけなのか・・・はて。

中にはちょっと考えられないぐらい前向きな発信ばかりしていて、すごく心配になるような人もいるしで、私の感覚とはかけ離れた印象。

単純にすごいなと思う反面、共感度は低め。

アドバイスを発信をしている人もたくさんいるんですが、私がよく見ているのは絵日記。

なんだろう。発達云々関係なく、子育てには正解ってないと思ってるし、それぞれの塩梅でやりゃあいいと思う派なんですね。

まぁあまりにもガチガチに行き詰ってる人がいたら、とりあえず「手を抜かないと死ぬぜ?」ぐらいは言いたいですけど・・・

だから受動的に見るSNSでは「こうした方がうまくいく」ってのより、「どう過ごしているか」を淡々と見せてくれると、あぁ、こういう関わり方があるんだな、とか、こういう特性もあるんだな、とか構えることなく入ってくる気がしてます。

手放さなければいけないと感じること

タイトル通り「診断」という枠にすがることです。

うちの長男の場合は、言葉の発達・感覚過敏の程度・こだわりの強さなど、主に困り感の中心だったものがどんどん和らいできてます。

というのも、もともとASDよりADHDの方が色濃いことが関係してると思っていて、最近では酷かったこだわり行動もかなり影を潜めるようになりました。

気持ちの切り替えは相変わらず下手なんですが、なんせ「これはこうでないと許せない」といったことが極端に減りまして。

そんな様子を見て、今「診断」を仰ぐのは親の都合でしかないのかもしれないなと思うようになってきました。

”今しなければいけない”という焦燥感を捨てようと思う

長男が4歳になって、幼稚園が始まって、少しでも離れる時間があると、単純に気持ちにゆとりが出来ました。

そうすると不思議なもので、今までは苦痛で仕方なかった長男にとことん付き合うということができるようになりまして。

そうこうしているうちに思うのは、今は関わり方をこうしないといけないどうのこうのを頭で考えるよりも、もっと行動の種類を知っておこうとか、こうしたらどう出るかな、どんな反応をするのかなっていう親子・発達云々抜きにして息子という人間を知ることの方が重要なんじゃないかということ。

早期療育が理にかなっているとも思う反面、「我が子の場合は」で見ればそれはまた違う。

だから何か重大な問題が起きない限りは今焦って型にはめようとすることを捨てることにしました。

少なくとも今本人が楽しく日々を過ごせている事実がここにある

息子が何を考えているかほんとのところなんてわかりませんが、ひとつ言えるのは毎日笑って過ごしてくれているということです。

幼稚園が始まってからはさらにその傾向は強く、毎日苦手なはずの集団生活を楽しみにしている。

それは実際に目の前で起こっていることで、否定のしようがないわけです。

そんな姿を見ていたら、あれこれ考えるのは少なくとも今ではない、そんな風に考えて、ここで一度立ち止まることを決めました。