発達障害

「自己肯定感低下」というパワーワード

「自己肯定感低下」というパワーワード

ここを見てる人は知らないかもしれませんが、Twitterでブログ書いてる人と繋がる用アカウントがありまして。

そっちでこんなツイートをしました。

育児垢でつぶやけない”なんて言いながらしっかりブログで回収する、そんな女です。

なぜここで取り上げようと思ったかと言うと、ツイートしたら色々と考えてしまい、ちゃんと吐き出しておこうという理由半分、いつも来てくれる人にはホントのところを晒したくなっちゃったって理由も半分。

自己肯定感が低いという感覚がまずない

あくまでも私の場合です。

失敗しまくってきたし、怒られまくって育ったにも関わらず、自己肯定感が低いという感覚がよくわからんのです。

ドン引きされる覚悟で言うと、メンタルにおいては自分を崇拝しているところもあるもんだから、Twitter始めてから発達当事者(未診断含む)の方たちのツイートやブログを拝見していて困惑していました。

ワーキングメモリが極端に不足してるが故に、人付き合いの幅も狭い上に社会的な困難要素もガチガチに当てはまるのに、もしかして私はファッションADHDなんか?と。

まわりの人間に恵まれていたという考え方もあるけど、どう情報と経験を擦り合わせてみても、確実に疑惑程度では済まないレベルだろうと思うので余計疎外感がある。

かと言って今更お医者に診てもらおうという気はさらさらない。

社会や他人に対して「私を理解してくれ」という欲求がそもそもそこまで強くないというか、欠損してるんだよなぁ・・・。

ともあれ「人は人」をモットーにしてるんで、このまま白黒つけずに生きていくんだろうね。

自分の特性を隅から隅まで理解してない

発達障害について長男のことをツイートしたり、ブログに吐き出すのは結構安易というか、客観視もある程度できるのでまとまりやすいんですが、自分のこととなるとしっかり具現化しないとわけわからんことになるんで取扱い注意だなと感じます。

親には幼少期の私が起こしてきた怖いエピソードを散々聞かされてきたので(恨み節のように)、小さい時の特性はある程度受け継がれてるもんだということはわかるんだけど・・・

実際今の自分をしっかり客観視できないので、夫からの指摘をわりと指標にしていたりします。(指摘多すぎて追い付かないが)

ネット上も基本クローズにしたい

ブログを立ち上げた当初、実はブログとTwitterのプロフィールにも私自身がグレーであることを載せてました。

で。

どうして外したかと言うと、けっこう変なアカウントに絡まれてめんどくさくなったからです。

私が発信してるのは自分や似たような人のためであって、発達云々の理論や定義自体をごちゃごちゃ言ってる人に向けて意見してるわけではないので、すごーく居心地の悪い感いなってことでクローズに転向。

特性や思いを共感してもらえるのは単純に嬉しいけど、別に誰かに公表してアドバイス欲しいとか慰め合いたいとかいうわけではないからね。

そんな経緯でプロフ上公表はしてませんが、ここに来てくれる人にはこの場を借りてしれっと。

めんどくささにはかなわん。

私の自己肯定感は他者と形成されたものではないのかもしれない

正直家族との関係はいいとは言えない。かと言って特に自分の親をいわゆる”毒親”とも思わない。

でも末の妹は親のことを毒親認定している。

こういう相違を見ると、結局は私が鈍感なところがこの自己肯定感に良好な影響を与えているのかもしれないなぁと思うんです。

これは家庭外でもしかりで、

幼稚園・小学校・中学校と人間関係が面倒になったらさっさと見切りをつけてひとりを選ぶような性格だったので、きちんと自分の軸を作る癖を確保できたのが良かったのかもしれません。

学生時代には元々関わりがあった子に、ひとりでプラプラしている私が気に入らないという理由で嫌がらせされ、一向に気付かないなんてこともあり、先生や他のグループの子、男子からの指摘で初めて自覚するぐらいにはぼーっとしてましたね。

仕事面では得意分野を選んだけど、のし上がるほど”暗黙の了解”みたいな独自の世界観が濃くなっていくのを息苦しいなと思ってたところでタイミングよく結婚したんで運が良かったのもひとつ。

”運”と”鈍感”を併せ持っていた結果こういう感じに仕上がったんじゃないかと。(言い方悪くすると図太さで生きてる)

まぁ正直、成功例とはとても言えないんですけど、自己肯定感という大きな括りの中では泳げる範囲で生きてこれたので、個の性格が大いに関係すると思うわけです。

長男に見る似た鈍感さ

どれだけ怒っても、こちらが本気で「もう嫌だ」という態度で過ごしている日があっても、長男の振る舞いはまるで”自分は愛されて当然の存在”ということを肌でわかっているかのよう。

多動以外は嫌気がさすほど似ている特性と鈍感なところを見ると、「あぁ、この子はきっと大丈夫だな」という謎の安心感がどうしてもあります。

もちろん”今は”という意味で。

”自己肯定感が”に引っ張られ過ぎると道を踏み間違えそうになる

”子どもの自己肯定感を育てよ”という風潮はより強くなってきた気がします。

それでも我が子の様子を見ていると”もっと大事なことがある”と考えずにはいられない。

”おだてりゃうまくいく”なら既にそうしている。でも”逆効果だ”と強く感じる一方なので成功体験は地味なラインを持たせつつ、”失敗させる”ことにビクビクするのはやめようと、そう考えるようになりました。