▼前回の記事▼
魔の2歳児とはよく言ったもので、例に漏れず我が家もこの頃が一番つらかったです。
大変だった理由は今思うと
- ことばがまったく通じない
- すべてのことを全力で嫌がる
- 前触れのない癇癪
- おでかけはすぐに走り去って迷子になる
書き出すとざっくりこんな感じです。
次男の妊娠と重なって壮絶な1年でした。私と同じ境遇の人に、ひっそりと読んで「同じように悩んでるんだな」と少しでも心を軽くしてくれたら嬉しいな。
保育園での生活
日に日に多動も激しくなっていき、小鉄のおむつを替える時だけ2人がかり。
昼寝もまったくせず、ずっと午睡時間中は事務所で遊んでいました。
これが毎日だときつい。なんせ他のお母さんたちは本当の”休憩時間”なのに、私だけがずっと気を張っている状態です。
比べて羨ましく思っても仕方ないと今は思えますけど、実際に寝ない子を育ててるとそういう状況が重なるたびに黒い感情はどうしても顔を出してしまいます。
朝の会
ほんの少しだけですが参加するようになりました。
歌の時間だけ少し輪に入って踊ったりしていたんですが、この頃成長したなとしみじみ感じる余裕はありませんでしたね。
すべてのルーティンを力ずくで拒否される毎日に絶望していました。
お散歩
命を守ることで精いっぱいです。ひとりだけ走り去っては道路へ飛び出しては運転手さんに睨まれてました。
公園に行っても公園から出ていくし、気持ちの切り替えが苦手なので今度は公園から帰らないしで私の目は死んでたと思います。
仕方がないので他のみんなが帰ってからも付いていたんですけど、妊娠中はかなりつらかったですね・・・。
お昼寝の時間
さっきも書いたんですけど、一番この時間が嫌いでした。
寝ないのはいいとしても、大人しく遊んでくれるはずもないので、他のスタッフがキッチンに出入りするたびについて行きます。
事務所の書類など全部ひっくり返したり、他のスタッフのご飯を食べようとするわみんなが寝ている保育室の扉をがんがん叩くわでずっと張りついてないといけませんでした。
こうやって書き出すと大したことではないんです。
でも毎日だと気がおかしくなりそうでした。
癇癪へ対処するのをやめた
幸いなことに、夫は息子の面倒をよく見てくれます。
それでも小鉄と2人の時間がつらくて仕方ありませんでした。というのも、よくわからないタイミングで癇癪を起こす上、30分以上暴れることも頻繁にあったからです。
最初はなんとかしようと取り合っていたんですが、関わろうとすればするほど酷くなるのことに気付きはじめます。
それからは小鉄が暴れるのをただぼーっと見つめて、おさまるのを待つようになりました。というか・・・毎回付き合ってたら頭おかしくなります。
困っていたのは外で癇癪を起こした時、通りすがりの人に
「かわいそうに。
ほらほらどうしたん~?」
的な声をかけられること。
その度に癇癪が激しくなり、最終的には抱えて退散せざるを得なくなるなんてことも多々ありました・・・。
気にかけてくれるのはありがたいんですけど、火に油って感じでしたね。
ことばの発達は2歳半を過ぎて爆発
2歳になったばかりのころ
- マンマ
- これ
2歳3ヵ月ごろ
- あんぱんまん
- しょっぱんまん(しょくぱんまん)
- てぃーず(ちーず)
- かれぱんまん(かれーぱんまん)
2歳6ヵ月ごろから3歳まで
- かーちゃん
ついにきました。
はじめて”かーちゃん”と呼ばれた時のことは今でも忘れません。(今はしつこいぐらい呼んできますが)
本当に嬉しかったんです~!!!
この頃から爆発的に言葉は増え、3歳前にはDVDやテレビCMのセリフを常に繰り返し言っていました。(いわゆる遅延エコラリア)
他の子のように会話や意思疎通は成り立ちませんでしたが、言葉を話すことができるようになるかどうかわかないと思っていた筆者にとって、大きな1歩となりました。
これは4歳を前にした現在でも続いていて、ことあるごとにセリフでやりとりしようとしてきます。
今ではちょっとずつではありますがすこーしセリフ以外もぶっこんでくるようになってきました。
エスカレートしてく横目
横目は前回の記事でも書いていますが、頻度がどんどん増えていきます。
横目のままよくくるくる回って遊ぶようになったのも2歳ごろかな。
声をかけてもやめないんで、好きにやらせていましたね。
一番怖かった迷子案件
今まで何度「もう小鉄には会えないかもしれない」と思ったことやら。一番ひやっとしたのが、大阪梅田の地下ではぐれた時。
祖母の家に遊びに行く途中でした。
- 次男妊娠中
- 手を繋がない
- バギーにも乗らない
- こちらの存在は無視
手を振り払われ、寝転びはじめたんで「もうしらん」と言って隠れてからどうするか見てみようと思った私が悪かった。
5秒で移動して振り返るとそこにもう小鉄はいません。いなくなること自体は慣れていましたが、見渡してもどこにもいない。
さすがに都会の人混みの中で胸の中がざわつきました。まさに心臓を掴まれている気分です。
いろんな店内や通路を10分は探したでしょうか。ふと階段の方に目をやると、若い女性の手を引っ張っている小鉄を発見。
どうやらその女性に上の階へ連れていってほしかったみたいです。私を見つけても知らんぷり。
名前を呼んでも無視されることにこの時ほど悲しいことはなかったですね。涙をこらえてただただ「すみません」と女性に一礼し、その場を後にしました。
普通の子なら大泣きですよね。この事件があってから、2人での外出をほとんどしなくなります。
里帰り中はストレスが爆発
一般的には里帰りすると楽だと思うんですけど、うちはプライバシーが守れないような住居環境なのと、小鉄にイライラを募らせる家族を見るのもしんどかったです。
- 多動がピークの時期
- 夜遅くまで寝ない
- わざとどんどんと飛び跳ねて音を鳴らして遊ぶ
- お風呂に入らない
小鉄を普通だと言っていた父も母も生活を共にすることで特性を目の当たりにしてちょっと引いてました。多動がきつかったため、父と何度もトラブルになり、結果出産間近に自宅へ帰ることに。
父も母も引き止めましたが、その時はもう耐えられなかったんです。
自宅で1週間過ごした後、両親の強い呼びかけに根負けするかたちでまた実家へ戻ります。
その後すぐに次男が生まれてくれたんで助かりましたけど、あのまま長引いてたらと思うとぞっとしますね・・・
2歳児検診は濁されて終わった
1歳半検診にひっかかっていたので、自治体から2歳児検診にきてね、という通知がきます。
暴れる小鉄を抱えて健診に行くと、本を広げて少し対話して「多少ことばもでてるんで、もう少し様子みましょう。」という回答でおわりにされます。
どんな思いで連れてきたと思てんねん…いらんかったやろこの時間…と心の中でめちゃくちゃ文句いってました。
いや言いませんけどね。
こうして3歳児検診に持ち越されました。
2歳から3歳の発達記録まとめ
2歳のころは子育てやめたい・お母さんやめたいと思いながら毎日過ごしてました。じゃぁ産むなって声が聞こえてきそうですけど。
まぁそんなことはわかってるので、それぐらい辛さがあったということは、ちゃんと悩んでたってことだと思ってるのでいいじゃない。
今辛い思いをしてる人もこれを読んで解決できることなんてないと思います。でも少しずつでも確実に成長するということだけは言いたい。
自分をなんとか保って、今を乗り切ってください。
まずは
他人でもいいから頼ることだ
つづき >> ▼発達障害グレーゾーン長男小鉄のあゆみ~3歳から4歳~
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